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私の歩んできた人生

私の人生

 

 

「もう嫌だ・・・。何故ここまで言われなければならない?」

 

 

 

2010年、四月、私は、鹿児島大学を卒業した後、某大手建設業界の施工管理として入社を果たした。

 

高校入試、大学入試、大手企業への就職、これまで順風満帆に生きてきた私にとって、初めての社会人生活は想像を絶するほど苦しいものであり、到底耐え切れるような仕事ではなかった。

 

激しく飛ばされる罵声!理不尽な新人への過度な業務!夜も眠れないほどの異常な仕事時間!

 

私は今も、あの時の会社の雰囲気を思い出すと気分が悪くなってくる。

 

 

あの時、もう少しマシな現場に飛ばされていたら私の人生はどうなっていたのだろう?

 

 

今でも、昔私が思い描いていた理想の暮らしを無駄に想像することがある・・・

 


人生初の挫折

挫折

 

私は”挫折”というものを社会で働くまでは一度もしたことが無かった。

 

 

ずっと部活動でサッカーをやっており、一応レギュラーで試合にも出続けていた。

 

県大会で決勝まで行った経験もあるし、高校でもサッカーが強い学校では無かったのだが、それなりに勝ち進んで面白い経験も出来た。

 

勉強もそこまで必死にやらなくても、それなりの順位にはいたし、国立の大学に入って、親にも負担をかけずに親孝行出来ているつもりでもあった。

 

彼女も大学の時に知り合い、非常に美しく、芯の強い、一緒に居て最高に幸せを感じる彼女とも付き合えることになった。

 

大手のゼネコン社員になれたこともあり、お互い絶対に結婚しようと誓い合っていたのである。本当に順調な人生のつもりだった・・・

 

 

しかし、私はゼネコンに入り、初めて派遣された現場で生まれて初めての”挫折”を味わった。

 

これでもかというくらい打ちのめされ、全ての自信をへし折られたのである。

 

建設業には”測量”と呼ばれるモノを作るために位置を正確に出す業務があった。

 

最も基本的なことでもあり、最も大事な”命”とでも呼べるようなミスを許されないような仕事である。

 

 

これは、どのゼネコン業界でもそうだと思うのだが、”測量”の業務は新人がおこなう。

 

建設業界では最初に身につけなければならない、几帳面で正確に物事をやり遂げていくスキルを体で覚えるためにも”測量”の業務は必要不可欠だったのだ。

 

私に初めてついた上司は同じ会社の人では無く、派遣されてきた測量士さんだった。

 

この人は、非常に我が強く、私達、雇っている社員に対してもいつも愚痴をこぼし、反抗的な人だった。

 

しかし、仕事は丁寧で正確、測量士としては優秀な人の方であったと思う・・・

 

だからというか、当然、厳しい!広島の人だったので、口も荒い!

 

炎天下の中、新人だからと私に30kgくらいの荷物を持たせ(相手が持つべき荷物も私が持たさせられていた)、初めての測量にビビって、作業が遅い私に、

 

 

「おらぁ、お前いつまでかかっとんねん。」

 

 

「早くやらねぇと終わんねぇだろうが!お前ほど出来の悪い新人は見たことねぇぞ!」

 

 

 

と、罵声とイヤミを飛ばしてきた。

 

 

私も、サッカーで鍛えていた方なので、体力には自信があった。

 

しかし、炎天下の中、山道を重い荷物を持ったまま歩き、草木を切り分け、精密な測量を神経を張り詰めながらやることに衰弱し、更には容赦ない罵声と焦らせる声に倒れてしまったこともある。

 

私は、完全に社会人を舐めていた・・・

 

まさか、ここまで仕事がキツイものとは思わず、しかも厳しい世界だとは想像だに出来なかったのだ。

 

 

それでも、何とか耐えていた。

 

彼女との連絡も楽しみだったし、大学の友人からも同じような悩みを聞いたりもしていたので、なんとか自分だけではないのだと頑張れたのだ。

 

 

それからしばらく経って、今度はいきなり私に迂回路の仮設工事の責任者をやれと会社でも一番上にあたるような上司が言ってきた。

 

はっきり言って無理である。

 

全く知識も無いし、測量すらまだおぼつかない私に入社してから3ヶ月目で、工事の責任者だ。

 

もう訳が分からず、ガムシャラに工程を書き、人に聞きまくり、業者に怒られながら何とか工事を終わらせた。

 

しかし、何と私は測量を間違えており、実際の設計図とは違う線形の道路を作ってしまった。

 

 

仮設だったのと、それほど大きな測量ミスでは無かったので問題無かったのだが本線でそれをやっていたら一大事である。

 

良くもその時頑張れたなぁと今でも自分を褒めてやりたくなる。

 

 

だが、そこであまりの忙しさと、精神的な疲れで私は少しおかしくなっていた・・・

 

友達にも仕事の話しか出来ず、彼女にも愚痴だけをこぼしていた。

 

メールも返す余力など残っておらず、彼女の

 

「寂しい・・・、楽しく無い・・・」

 

という悲痛な叫びにも

 

「俺はこんなに頑張っているのに・・・」

 

と優しく返すことが出来なくなった。

 

少しずつ、私の人生の歯車は壊れ出していた・・・。

 

 

さっき言った会社の偉い上司は結構、私を気に入っていた。

 

新人ながら頑張っていると褒め、非常に優しかった。

 

しかし、私はあまりの疲労と心の苦しさにやる気をどんどんと失い、うつ病のようになっていった。

 

そして、仕事も辞めたくてしょうがなく、相変わらず友人や彼女に愚痴ばかりをこぼしていた。

 

 

しかも、最悪なことに、私の初めての現場は、施主(工事を依頼してきた大元)が非常に厳しく、圧迫的な検査で順調に仕事が進まなかった。

 

業者の人達も、ヤクザや喧嘩上等!みたいな戦闘民族が多い地域だったので尚更工事は遅延していった。

 

偉い上司も、鬼のように仕事に厳しい人だったので、どんどん不機嫌になってきて、現場の雰囲気は氷の世界のような冷たさだった。

 

他の現場の職員が一度私達の現場に道具を借りに来たが、

 

「ここまで、一瞬も居たくなくなるような現場は初めてだ」

 

と言ったのは今も覚えている。


みんながおかしくなり始める。

狂う

 

もう現場の誰もがおかしくなり始めていた・・・

 

互いに互いの悪口を言い合い、「あいつは仕事が出来ない」、「あいつは手伝わないくせに口だけは達者だ」と毒を吐き続けていた。

 

最初豚のように肥えていたイヤミを言いまくる上司も7kgとか体重が減ったり、中には、ストレスで急に現場から消えた人もいる。

 

皆虚ろな目で、生気を感じず、誰もが責任から逃げ出そうとしていた。

 

 

 

当然ながら、私は最もかっこうの餌食である。

 

全く仕事も出来ず、うつ状態でやる気も無い私には職員全員の厳しい批判とイヤミがまるで憎悪をすべて私に向けるように放たれた。

 

益々、私は落ち込んでいった。

 

もうどうしようもないような状況に陥った。

 

それまで、必ず寝る前には彼女に返していたメールも返せないくらいに元気が無かった。

 

 

 

すると、ある日彼女が、ちょっと合コンに行っていい?と言ってきた。

 

まぁ、私と話して、嫌な気持ちを抱えさせているくらいだから、気分転換に行ってきてもらおうと思った。

 

それから、しばらくして別れ話をされた・・・

 

合コンで知り合った人なのかどうかは今も不明だが、遠距離恋愛で、しかも愚痴をこぼし、生気もないような私と別れたいのは最もなことである。

 

私は、未練たらしく何度も、復縁をせまったが、彼女が新しい彼氏と一緒に写っている画像をフェイスブックで見つけて、私は諦めた。

 

 

 

私は完全におかしくなってしまった・・・

 

もう死にたかった。

 

他の人の話している言葉でさえ、ほとんど理解出来ず、いつも全てのことから逃げるようになった。

 

 

「死にたい・・・」

 

 

初めて本気でそう思った。

 

 

 

 

私は、それまで、絶対に電話をしたくないと思っていた親友に電話を掛けた。

 

そいつは、ずっと似た者同士で、負けず嫌いで、お調子者で、気分屋で、お互いライバルながらも、認め合っていた奴だった。

 

そいつだけには実は連絡したくなかった。

 

ここまで落ちぶれた私の姿を見せたく無かったし、プライドが今まで許さなかったのだ。

 

しかし、もう限界だった・・・

 

私は、社会人になって初めてのそいつとの電話だった。

 

 

「もしもし?」

 

 

「おう、自由人か?仕事はどんな状態だ?」

 

 

「・・・・・・・」

 

 

「・・・?上手くいってないの?」

 

 

「・・・・・・・」

 

 

私は今の状況をすべて話した。

 

仕事のこと、彼女のこと、自分の不甲斐なさ、情けない自分を全てさらけ出した。

 

 

そいつは黙って私の話を聞いていた・・・

 

 

そして、しばらく経ってこう言ってくれた。

 

 

「お前ほどの男がここで終わるはずが無い!」

 

 

私は、この言葉を聞いたときに本当に救われた。

 

嗚咽を漏らして泣くのを必死でこらえるのに必死だった・・・

 

 

 

あの時のことを後で聞いたら、私は相当おかしかったらしい。

 

別人だと思ったそうである。確かに私もそう思う。それほど、人間はストレスがかかりすぎるとおかしくなるのだ。

 

今思えば、良く死なずに元に戻れたものだ。

 

そいつには、今も頭が上がらないし、ずっと支えてもらっている。


殺すつもりで仕事をする

殺す

 

そいつの言葉に救われた私は、死ぬ気で仕事をすることを決意した。

 

ただ、膨大な仕事をやり遂げる方法も分からず、何から手をつけていいかも分からなかった。

 

そんな時に、「断捨離」という本と「シンプルノート」という本に出会った。

 

それらは、モノを捨ててお気に入りのものだけを残したり、大事なことや好きなことを紙に書いたりして”自分にとって余計なものを削ぎ落としていく”ような作業を推奨する内容だった。

 

私は藁にもすがる気持ちで、それらのことを私生活から、仕事に至るまで、徹底的に行った。

 

そしたら、少し、気分も良くなってきて、やるべきことが見えてきた。

 

 

私はルールを一つだけ決めた。

 

 

やると決めたら絶対にやりきる!

 

 

これだけは、絶対に守ろうと決めた。

 

どうしても色んな情報が入ってくると、行動に迷いが出て、失敗をしやすくなる。

 

だから、私は最初に徹底的に調べ上げて、やるべきことを決めたあと、それを絶対にやり遂げるようにした。

 

もう、失うものが何も無かったので、上司も先輩も殺してやるくらいのさ殺気を身にまとって仕事をやった。

 

今までは、何か言われると自信の無さや失敗の怖さから言い返すことも出来なかったが、上司だろうが、業者だろうが食ってかかった。

 

 

 

自分が殺られるくらいなら、相手を殺してやる!

 

 

 

そういう決断をすると、はっきり言って何も怖くない!

 

マジでヤクザでもあの時の私は、食ってかかっただろうと思っている。

 

 

それくらいの気持ちで仕事をしたせいか、心臓にも毛が生えたようになり、多少の失敗も気にせず、どんどん成長していったように思う。

 

いくつもの工事も任されるようになってきたし、合う、合わないはあるものの、私に合う業者の方からは

 

 

「お前だから、俺らは仕事をしてやるんだぞ!」

 

 

なんてありがたい言葉も頂いたりもした。

 

 

 

私は自信を完全に取り戻した。

 

他の私を馬鹿にしていた上司達は全員「使えない」と飛ばされ、新しい力のある先輩達も入ってきて、現場も順調に進みだした。

 

周りとの関係も少しずつ良くなってきたし、ちょっと仕事も面白みを感じ始めていた。

 

 

 

が、しかし、ある日業者と私は揉めた。

 

相手が手抜きをしたので、私は文句を言った。すると喧嘩に発展し、対決することになった。

 

しかし、上司は私を守ってはくれなかった。

 

 

 

「もう少し、言い方を考えろよ・・・」

 

 

 

 

その言葉を上司から聞いた後、私が好きだった、一緒に仕事をしていた別の測量士さんが

 

 

 

「もう諦めな!自由人君!」

 

 

 

「この現場は腐っているよ!仕事を辞めなさい。」

 

 

そう私に言い放った・・・

 

 


何のために働いているんだろう?

何のため?

 

私は、そんな事件が起こる前から”自分は何のために働いているんだろう?”という疑問を持つようになっていた。

 

少し、職場が改善されたとは言え、そこの現場はやはり、”最悪”だった。

 

今も、仲の良い、一番年の近かった先輩と電話で話すことがあるが、決まって

 

 

あの現場は最悪だった

 

 

である。

 

あの現場を耐え切れた後だと、全てが小さく感じる。

 

誰に馬鹿にされようと、反論を食らおうと、あの現場で3年近く働いた私は偉いと思っている。

 

普通の新人だったら発狂している。

 

 

 

だからなのかもしれないが、やっぱり私は幸せを感じることが無かったし、その仕事が心の底から好きにはなれなかった。

 

だから、”事件”をきっかけに辞める旨を上司に伝えた。

 

しかし、会社が絶対に辞めさせないと、別の現場の移動を促してきた。

 

正直、私も転職することが非常に怖く、仕事だけに打ち込んでいたので行動する計画を立てれてもいなかった。

 

 

 

だからもう一つの現場へと移動をした。

 

初めての他の現場の体験である。

 

しかし、最凶の現場を新人時代から経験していた私は自信はあった。

 

もう、一人で全体計画を立てようと思えば立てれたと思うし、全く経験の無い、工種をやらされまくっていた私は、他の現場の知らない工種でも勉強の仕方と段取りの仕方のコツを掴んでいたからだ。

 

実際に、移動した現場でも上司に、三年目のレベルじゃないと褒められた。

 

前の現場と違って、相当楽勝で残業も大幅に減った。

 

猿のいるような山奥の現場だったのが玉に傷だったが・・・

 

 

 

 

そんな折、新しい所長が来るという知らせが入った。

 

どうも、広島の現場でブイブイ言わせていた、超大物所長らしかった。

 

建設業の所長と言えば、はっきり言って現場の神である。

 

その所長がワンマンで、厳しい所長ならその現場は一瞬で地獄に変わる。

 

他の社員もあからさまに嫌な顔をして、そわそわしているのが分かった。


広島の首領との対面!初めて”本物の男”に出会う!

ヤクザ

 

やってきた所長は”ヤクザ”の親玉だった。

 

金縁メガネに、鋭く、細い眼光、オールバックの髪で、小さいながらに圧倒的な威圧感を放っていた。

 

完全に映画に出てくるヤクザの親玉そのものであったのだ。

 

後輩を横目で見ると、顔を引きつらせていた。

 

無理もない!あれは、誰でも初対面はビビる!

 

 

 

そして、所長は一言こう言い放った。

 

 

「初めまして、広島から来た○○です。こっち(九州)は初めてだから宜しく頼むな。」

 

 

しゃがれたハスキーボイスで、えらくドスが効いていた。

 

まさに「マジかよ・・・」である。

 

 

 

しかし、予想していた人と大幅に所長は違っていた。

 

勿論、怒るときは烈火のごとく怒る。しかし、お茶目な笑顔を見せたり、私達社員を大事にしてくれて圧倒的な男の器を見せてくれた。

 

私は、腐った上司ばかりを見てきた。土壇場になったら後輩を見捨てて、責任を負わそうとするような者が上司だとばかり思っていた。

 

だからこんな男もいるのか?

 

と、本当に面食らった。

 

後輩も、あんな頼りになって、優しい上司は信じられないと言っていた。

 

 

あれが、まさに本物の男である。

 

 

一切、現場の責任を下に負わせたりしない。

 

自分でも、動くし、気持ち良く仕事をさせてくれる。

 

部下を可愛がり、褒め、叱るときは、これでもかというくらい叱ってくれる。

 

さすが、広島で首領と呼ばれるだけの”男が惚れる男”なのだ。

 

 

私は、その現場では幸せだった。

 

何も不満は無かったし、人間関係も良かった。

 

でも、やっぱり、何かが自分の中で満たされていなかった。

 

だから、人生に幸せを感じられなかった。

 

 

私は転職をすることを決意した・・・


転職のコツを理解する!超一流企業への転職へ・・・

コツ

 

私は新しい現場に行ってから本を良く読むようになっていた。

 

それは、ある一冊の本との出会いがあったからだ!これが、転職する決意を促したと言っても過言では無かった。

 

元、日本マイクロソフト社長、成毛 眞さんの

 

 

「本は10冊同時に読め!」

 

 

である。

 

 

この本は、私の今までの考えを全て一変させた。

 

今までの私は、頑張りきれない自分が悪い!会社が悪いのではない!と自分を追い詰めまくっていた。

 

しかし、成毛さんは全く違う人生を歩んでいた。

 

本を大量に読み、自分がしたいように人生を歩んでいた。

 

そして、いつの間にかマイクロソフトの社長にまで上り詰めていたそうだ。

 

私は、自分の無知さを改めて思い知らされた。

 

貪るように成毛さんの出版している本を読みまくった。

 

そして読んだ本の全てが私の心に突き刺さった。

 

 

情報の価値を理解しろ!本を読んでいるものだけが生き残れる!無駄な努力をするな!我慢するな!あらゆるジャンルの本を大量に読め!

 

 

私は、自分の中に熱いものがこみ上げてきた。

 

それから、成毛さんほどでは無いが、あらゆる本を読みまくった。友人からは頭でっかちになっていると言われたが、絶対本を読んでいる方が良いと思ったので、イヤミを言われても本を読んでいた。

 

広島の首領も、大変な読書家で私にこういっていた

 

「本を読まない奴は人生の大半を損している・・・」と。

 

 

 

成毛さんは、自身も本の中で語っていたが、マーケターだった。

 

私も、成毛さんの本を好きなだけあって、人の心を理解して販売戦略を立てるマーケターに憧れた。

 

だから、マーケティングの仕事をしたいと思った。そして、その道への転職を決意した。

 

 

 

転職の際はとにかく最初に転職サイトや転職エージェントに登録しまくった!

 

転職経験ゼロの私だったので情報が欲しかったのだ。

 

そして、とにかく面接練習がしたいと思って、色んな会社に興味が無くても応募した。実践に勝る練習はないと思ったからだ。

 

結局、転職先は東京しか良い求人が無かったので、会社を辞めることにした。

 

親には大反対された。金も貯めていなかったのに無理だろう?折角、いい会社に入ったのに!と言われたが、決意は固かった。

 

だから、絶対に失敗はしたくなかった。

 

今の会社よりいい会社に転職してやる!

 

その一心だった。

 

 

 

転職は最初、予想以上に上手くいかなかった。

 

色んな情報を収集しているつもりだったが、実際に面接に行くとどうしても、前職の辛かった思いなどを話してしまい、ネガティブな発言として受からなかったのである。

 

これには、困った。

 

さっきも言ったが、私は、建設業時代はストレス発散でお金をパチンコに使い込みまくっていたので、ほとんど金が無い!

 

三ヶ月以内で転職するつもりだったのに受からないとなるとヤバイのだ。

 

 

 

すると例の親友から電話が来た。

 

会社を辞めることは結構前から話していたが、中々決意して動き出さない私の様子を伺おうとしていたみたいだった。

 

面接がダメだ!

 

そう伝えると、やつが

 

 

「う〜ん、ちょっとどんな感じで話しているか言ってみ?」

 

 

と言うので、少し話してみた。

 

そしたら、

 

 

「全然ダメだ!お前の話はネガティブだし、一貫したストーリーが無い!話を作れ!」

 

 

そう言ってきた。

 

そして、私が、今まで聞かれた内容やそれに対する答えを想像して、新しく作ったストーリーで面接練習に付き合ってくれた。

 

奴は、いわゆるデキる奴である。

 

私もそいつのおかげで、何となく”企業が好む答え”というものがわかってきた。

 

それから、私は誰もが知っているような会社に受かりまくりだした。

 

完全に転職のコツというものを掴み、最後に超一流の有名企業に転職が決まった。

 

相当有名だったので、親や友人、前職の職場にも伝えまくった。

 

皆、凄いと褒めてくれた。

 

嬉しくて仕方なかった。

 

勿論、転職が決まったときに最初に伝えたのは”あの親友”である。

 

まるで自分のことのようにそいつは喜んでくれた。またまた、頭が上がらなくなる。笑


頂点からどん底へ・・・

地獄

 

私は、完全に頂点に立った思いがしていた。

 

 

今までの閉塞感漂う人生から開放された。これで俺は幸せな人生を歩める!

 

 

そう信じて疑わなかった。

 

全てを手に入れた気持ちになっていた。

 

 

 

だが、私の就いた職業はマーケティングの仕事ではなかった。経営コンサルタントである。

 

本当は別に行きたいマーケティングの会社があったのだが、一流起業というブランドと高額な給料に目がくらんだのである。

 

それが、大きな間違いだったのに気づいたのは、大体新しい職場に就いてから二ヶ月が経った頃である。

 

何かおかしい?

 

一流の会社、綺麗なオフィス、残業もない楽な仕事のはずなのに、何故か心が塞がっていく・・・

 

そんな気持ちを抱えているときに私はその会社の会長の秘書とたまたま揉めてしまい、会社を解雇されてしまった。

 

揉めた内容は本当にくだらないことである。それでも解雇されるとは思わなかった。これが、組織か・・・

 

 

 

でも、私は少し、ホッとした。

 

あのまま続けていても、きっと迷惑を掛けていただろうと思うのだ。

 

早めに辞めれたことを今では、感謝している。

 

だが、その時の現実は甘くなかった。

 

 

私は、転職が決まった時に、高給だからと良いマンションに住んでしまったのだ。

 

その時、恥ずかしながら借金もしてしまったし、会社を解雇されたら家賃なんか全然払えなかった。

 

私は、解雇されてからたった一ヶ月でホームレスになった。

 

本当はもっと考えて動けば良かったのだが、会社を解雇されたショックからなのか考えることもあまりせずに、ただ、借りたばかりの家を解約し、買い揃えた家具などを全て処分し、文字通りの一文無しになってしまったのである。

 

 

仕方が無かったので、ダンボールで寝れる場所を作り、毛布に包まって夜を過ごした。

 

それが、丁度二月だったので極寒の真冬である。

 

滅茶苦茶、というか死ぬのか?というくらい寒かった・・・

 

絶望という言葉はこの時ほど強く意識した事はない。

 

それでも、私は何故か成功する未来を夢見ていた。今でもそれは不思議である。

 

 

 

そうして朝が来た。

 

すると、ダンボールの外から声が聞こえる。

 

お手製ダンボールの家から顔を出すと警察官がそこには立っていた・・・

 

 

「君、こんな所で寝られたら困るよ!住民から110番通報が来ているよ!」

 

 

そして、通報したであろう住民から

 

 

「おい、そんなところに小汚い家を作るな!上野へ行け!上野へ!」

 

 

と野次を吐き捨てられた。

 

 

警察官は私を見るなり、さも憐れだと言わんばかりの表情で

 

 

「まだ若いのに・・・」

 

 

と言って、事情聴取を始めた。

 

この時ほど、自分が情けない!歯がゆい!気持ち悪い!と思ったことも無いだろう!

 

 

 

私は、まさに、頂点から一気にどん底に落ちてしまったのだ・・・

 

 


それでも、私は諦めない!これから世界を変えてやる!

未来は明るい

 

こうして、どん底に落ちた私だったが、悪運だけは人一倍強かったのだと思う。

 

ちょうど、その後に東京に来ていた友人が電話をくれ、家に居候させてくれることになった。

 

コイツにももう一生頭が上がらない!

 

本当に死ぬかと思っていたのでこれ以上ないくらいありがたかった。

 

何とかして早く成功して、恩返しをしてから家を出ていきたい(当然、迷惑だから・・・)!その一心が強かった!

 

 

そして、私はネットビジネスで起業を決意した!

 

全くゼロの知識からだったが、マーケティングの仕事だったし、何よりももう組織という中での人間関係にも疲れ果てていた。

 

この仕事は私にとって天職である。

 

まだ、参入して一年も立たないが、最高に楽しいし、やりがいを感じている。

 

よく、ネットビジネスは散臭いと言われるが、そんな適当な仕事をするつもりは無かった。

 

誰かに必要とされる。悩んでいる人が希望を持てる!そんな仕事をネット上に構築してやろうと思った。

 

 

 

とにかく、朝から晩まで私はパソコンと向き合い、勉強を続けた。

 

全く、ネットの知識がないのだ。

 

知らないことだらけで、頭が最初はすぐにパンクした。

 

それでもとにかく、やるしかない。

 

だって、人生を変えるのにこの仕事以外は私にはもうないと思っていたから・・・

 

一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月とゼロの収益が並ぶ・・・

 

だが四ヶ月目くらいからほんのちょっぴり収益が上がった。

 

100円くらいである。それでも少し嬉しかった。

 

そして参入してから、七ヶ月目くらいから何とか生きていく分くらいは稼げるようにはなった。本当にギリギリだが・・・

 

これを聞いて、あなたは私を馬鹿だと笑うだろうか?でも、これからどんどん収益が上がってくれば、サラリーマンの月収を遥かに超えられるような月収を稼げる可能性もあるのだ!

 

だからこそこの世に絶望している人達にはまだ、諦めて欲しくない!いくらでも自分次第で人生は変えられるのだ。

 

 

 

私は、これからもっと上を目指すつもりだ!

 

世界中を駆け回り、自分を成長させ、ビジネスを発展させ、SNSサービスを開発したりして、最終的には宇宙旅行会社まで作ってやりたい!

 

もしかしたら、今後の人生で考え方は変わってくるかもしれないが、目標は、全く見えないくらいがワクワクして面白い。

 

何、誰かに馬鹿にされようとも、ほざくくらいは皆許してくれるだろう。笑

 

これが、私の歩んできた人生だ!

 

これから、もっと格好良く、面白く、激変した人生を歩んでやる。

 

そのためにも、まずは一歩一歩を大事にして、足場を固めていこうと思う。


本気で今が苦しい人へ・・・

今、本気で人生が辛い人にはこう言いたいです。

 

 

「一生そのままでいるつもりですか?」

 

 

誰も助けてはくれません!自分の道は自分で切り開くしかありません!

 

だったら、今日から動き出してどうですか?

 

今日動けば、何かが明日は変わります。

 

明日動けば、明後日も何かが変わります。

 

いつまでも、めそめそ、グチグチ言ってるくらいなら今から変わればいいじゃないですか。

 

この記事が誰かの心に響き、何か行動を移すきっかけになればと思います。

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